【第5回】生き残れたホモ・サピエンス―30万年前の答えが「コミュニケーション」にあった―

2026年6月17日(水)第24201号 掲載

「なぜ、ホモ・サピエンスだけが生き残れたのか」
―三十万年の答えが「コミュニケーション」にあった―

 幼い頃、父は私が寝る時に絵本の読み聞かせをしてくれました。その中の一冊に、私の心に楔(くさび)のように刺さったまま抜けない物語があります。浜田広介氏の「泣いた赤鬼」です。
 山に住む赤鬼は、人間と仲良くなりたかったが、人間たちは怖がって近づかない。そこで友人の青鬼が言った。「僕が悪者になろう。君が僕を懲らしめれば、人間は君を信じるよ」。作戦は成功し、赤鬼は人間と友達になれた。しかし、それ以来、青鬼は来なくなった。気になって、青鬼の家を訪ねると、戸は固く閉ざされ、わきに張り紙があった。「赤鬼くん、人間たちと仲良く暮らしてください。僕は旅に出ます。いつまでも君を忘れません。お幸せに」と。この張り紙を読んで、赤鬼は泣いた。「泣いた赤鬼」は、約六十年前、父が私に伝えてくれた物語であり、今もなお私の琴線に触れ、心に深く刻まれています。これは私個人の思い出に過ぎませんが、太古の昔から親から子へ、世代を超えて物語を受け継ぐことは、人類が続けてきた力強い営みそのものです。
 人が生きるために必要不可欠なものが、少なくとも五つあります。一つ目は空気、二つ目は水、三つ目は栄養。この三つはすぐに想像できるでしょう。四つ目は睡眠です。人は眠れなければ生きられません。では最後の一つは何でしょう。多くの方は頭をひねると思います。
答えは「コミュニケーション」です。
 一九四五年、児童精神科医ルネ・スピッツは、二つの施設の乳児を比較しました。どちらも食事・衛生・医療は整っていましたが、一つだけ違いがありました。養育者との日常的な「触れ合い」の有無です。触れ合いを持てなかった施設では、五十五人中四十四人が二年以内に死亡するか、深刻な発達障害に陥りました。栄養も医療も足りていた。それでも、子どもたちは死んだのです。コミュニケーションは「あれば豊かに暮らせるもの」ではなく、「ないと生きていけないもの」だったのです。
 では、なぜコミュニケーションがこれほど根源的なのでしょうか。
 約三十万年前、複数のホモ属が存在していました。最後まで共存していたのがネアンデルタール人と私たちホモ・サピエンスです。オックスフォード大学のロビン・ダンバー教授は、人間が緊密な関係を築ける集団規模の上限を約百五十人と提唱し、「ダンバー数」と名付けました。チンパンジーは約五十頭、研究者の間では、ネアンデルタール人は三十から五十人程度と推測されています。もちろん遺跡の規模や地域により差はありますが、この数字は彼らが血縁中心の小規模コミュニティで生活していたことを示す有力な指標です。物語を言葉で共有する力がなければ、ダンバー数は伸びなかったのです。
 対してホモ・サピエンスは約百五十人。しかし人類はさらに進化します。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書「サピエンス全史」によれば、人類は七万年前、虚構という「物語」を創り出しました。これを認知革命と呼び、宗教、教育、共通の理念など言葉で物語を共有することで、血縁で繋がるダンバー数の壁を超え、数万人規模の国家と文明をつくり上げました。これがすべての人類種との決定的な差でした。
 この共有を可能にしたのが「社会脳」です。触れ合いと言葉によって機能します。私たちの脳は、生まれた瞬間から「つながること」を求めているのです。
 はたして今、社会脳はちゃんと機能しているでしょうか。
職場で、部下が動かない。会議で意見が出ない。その根本原因は、スキルややる気の問題でしょうか。組織が目指す物語と、個人が持つ夢や志が結びついていないことが原因ではないでしょうか。その二つが結びついたとき、人はどんな苦労の中でも前を向けます。それはホモ・サピエンスだけが生き残れたことが証明しています。
家庭でも、SNSに没頭し親子の会話がない、親が自分の夢を語れない。大人も子どもも相談相手はAIになり、かつて起こりえなかった悲劇が生まれています。
あなたの組織には、仲間がしっかり共有できる物語はありますか。そしてあなた自身には、その物語と結びつく志がありますか。
 「泣いた赤鬼」がはじめて書かれたのは昭和八年。昭和三年生まれの父が読み、私に伝え、私も父を真似して子どもたちに読み聞かせました。青鬼はだまって去ってしまいました。あまりにも切ない物語です。私は六十年間、「本当につながるとは、どういうことか」への答えを出せぬまま、ずっと問われていたのだと思います。
人が生きるために必要不可欠なものは少なくとも五つと書きました。次回は、生きるために必要なもう一つについてお伝えしたいと思います。